御召艦とは? 長門とは?(+ブリタニア号も)

熊楠の「昭和天皇へのご進講」の記事で、「御召艦」や「長門」が登場しました。
今回は、この二つについて簡単に説明します。

*御召艦とは

⇒天皇陛下や皇族が座乗する艦船のこと
⇒皇室行事や地方への行幸の際に海上移動が必要になることもある
⇒その場合に使用する帝国海軍の艦艇が「御召艦」である
⇒明治から昭和にいたる期間に様々な海軍艦艇が「御召艦」として選ばれた
⇒大型艦が選ばれることが多く、戦艦がよくその対象となった
⇒例えば、戦艦「陸奥」「榛名」「霧島」「比叡」などである
⇒熊楠の天皇ご進講の際の「御召艦」は、戦艦「長門」である

では、英王室はどうなのか

*当然、英王室には、royal yacht が存在していました。
というか、明治政府が英王室をお手本にして、「御召艦」を導入したのでしょう。
(英国がroyal yachtを導入したのは、17世紀にさかのぼる)

⇒数世紀にわたり、英王室は80以上のroyal yachts を所有してきた
⇒それらの艦艇は現在はすべて退役している
⇒最後のroyal yacht は、ブリタニア号(HMY Britannia)である
⇒HMYとは、Her Majesty’s Yachtのことである
(エリザベス「女王」だから、Her です。蛇足ながら)
⇒ブリタニア号は1997年に退役した
⇒現在、ブリタニア号は博物館としてエディンバラの人気観光スポットとして知られている

では、
*長門とは

⇒旧帝国海軍(旧日本海軍)の戦艦
⇒大正9年(1920年)竣工、姉妹艦は陸奥
⇒当時は、世界七大戦艦のひとつ
⇒排水量は約4万トン(基準か満載かで数値が異なる)
⇒主砲は41cm連装砲4基、速力25ノット
⇒昭和4年(1929年)6月、天皇南紀行幸に際し「御召艦」
 熊楠、長門艦上においてご進講
⇒開戦時の連合艦隊旗艦(昭和16年12月)
⇒大和が登場するまでは、日本最強最大の戦艦であった
⇒ただし、大和と武蔵の存在は極秘だったので、当時の国民にとって
 日本海軍を代表する戦艦は長門と陸奥であった

細かい情報を出すとキリがないので、この辺にしておきます。
帝国海軍に関しては詳しい人が沢山いますし、ネット上に様々な記事があると思いますので。

それにしても、つくづく、熊楠にとって「晴れの舞台」だったことでしょう!

その当時、「世界七大戦艦」の誉れ高い「長門」の艦上で、
無位無官の自分をあえてご所望になった昭和天皇へのご進講!

これ以上続けると、ブログ主は興奮してしまうので、今回はこの辺にて失礼いたします。