最近の「家の宗派」シリーズを読んでくれた磯貝から、再び対談の申し込みが来た。
テーマは「天台宗」がいいそうだ。
やはり、中尊寺ファンだけのことはあるな~、と思いつつ、さて今回はどうなりますことやら、、、
磯貝:おう、最近の仏教ネタ読んだけどな、内容はまあまあだけど、ちょっと不満がある。なんで、天台宗から始めなかったんだよ。日本仏教と言えば、まずは天台だろ。伝教大師(=最澄 766~822年)が怒っているぞ。
ブ:最澄さんは心が広いから、そんなことで気分を害したりしないよ。空海ならムッとするかもな。
磯:また、そんな真言宗をいじって、、、なんかウラミでもあるのか。
ブ:奥州藤原氏四代の対談で出た例の一件だよ。
磯:あ、あれか。別に、弘法大師個人の責任じゃないだろ。おまえもしつこいなあ。あきれるよ。
ブ:まあ、確かに空海は直接関係してないけど、、、それに、あの件は今日の本題じゃないな。じゃあ、磯貝の方から天台宗を語ってくれよ。
磯:わかった。さて、日本の天台宗はもちろん、最澄が開祖だけど、この「天台」はこの宗派の実質的な開祖である智顗(ちぎ 538~597年)が支那の天台山に住んでいたことに由来するんだよ。一般に、天台大師智顗と言われてるけどな。
ブ:804年に最澄が唐に渡り、天台山やその他の寺院で学んだ後で帰国したのが805年。翌806年に日本で天台宗を確立するわけだ。
磯:うん。最澄は唐で天台法華、禅、密教など幅広く身に付けて、多くの書物や密教仏具を日本に持ち帰ったんだよ。だから、日本の天台宗は出発点から、顕教と密教の両方を備えていたと言えるな。まあ、厳密に言うと最澄の入唐以前にも天台関係の典籍は日本にあったんだけど。どうも、あの有名な鑑真和上(688~763年)がもたらしていたらしい。
ブ:鑑真というと、普通、日本における律宗の開祖としてとらえているけど、、、ふ~ん、それは初耳だったな。
磯:どうもそうらしいぞ。鑑真が渡海の際に天台宗関係の仏典をかなり日本に伝えたみたいだ。
ブ:そうなんだ。あと、あれだ、密教関係も例の道鏡(700~772年)が一応、加持祈祷をやっていたから、奈良時代にも密教典籍が多少あったみたいだな。
磯:そうだな。ただ、体系的な密教は、やはり空海の真言宗と円仁以降の天台宗に代表されるから。ちなみに、空海と言えば、最澄や天台宗との絡みも面白いと思う。
ブ:その辺をちょっと解説してくれ。
磯:おう。簡単に言うと、空海の方が唐での留学期間が長くて、密教に関しては最澄よりも本格的に学んだんだよ。だから、一時期、最澄は空海の教えを受けたというか、弟子のような形になった面もあるらしい。あと、最澄が借用を求めた経典を空海が断ってから不仲になったという説や、最澄の弟子が空海の下に走ったために確執が生まれたとか、いろいろ言われているよ。まあ、巨人同士の衝突かな。
ブ:磯貝も川口にライバル意識を燃やしているしな。両雄並び立たず、ってやつか?
磯:おい、茶化すんじゃないよ!真面目にやれよ。
ブ:ハハハ。悪い、悪い。で、密教面で真言宗に追いつけ、追い越せのための努力が、円仁(794~864年)の入唐だよな。開祖最澄の留学期間が一年未満なのに対して、円仁はなんと9年半も滞在して、密教、サンスクリット、念仏と様々な勉強に取り組んでいるから。
磯:そうだよ。あ、念仏に関しては、円仁が唐で「念仏三昧」の法を授かったよな。要は、「南無阿弥陀仏」と唱えるわけだが、円仁が学んだのは唐の竹林寺の「五会念仏」というもの。帰国後に比叡山の東塔に「常行三昧堂」を建てて、この念仏を研究して広めたわけだ。となると、鎌倉仏教の浄土宗・浄土真宗のおおもとはこれかも。
ブ:そうとも言えるよな。何といっても、天台宗は仏教の総合大学みたいなもんだから、なんでも包含してるんだよ。法然にしろ親鸞にしろ、比叡山で勉強してから「念仏」を核にして自分の宗派を確立したわけだからな。あ、もう一人の重要人物、円珍(814~891年)はどうなんだ。
磯:うん、その前に触れていない人物も含めて、ちょっと整理するよ。天台の開祖は最澄。その後を継ぐ天台座主を初代から並べると、義真⇒円澄⇒円仁⇒安慧⇒円珍となる。だから、円仁は第三代座主、円珍は第五代座主というわけ。ついでに、円仁は慈覚大師で、円珍は智証大師な。
ブ:しかし、なんだな、天台宗は開祖の最澄も有名だけど、円仁や円珍もかなり知られてるよな。なんか、別格すぎるぞ。空海の弟子とかは、それほど知名度は高くないと思うが。
磯:確かに。時代が下がっても、天台僧は良源、源信(恵心僧都)など多彩な顔ぶれだな。え~と、円珍の話だったな。実は、この円珍は空海の甥、もしくは姪の息子と言われてて、要は弘法大師の親戚なんだよ。この高僧も唐で5年ぐらい勉強に専念して真言密教を伝授されている。
ブ:先ほどは天台の最澄と真言の空海の不和というか確執が出てたが、天台内部でも円仁と円珍の仏教解釈の違いからその末流が対立するんだよな。
磯:その通り。「山門派」と「寺門派」の争いだな。まあ、何と言えばいいのか、、、、
ブ:まあ、今回はこの辺にしとこうぜ。テーマが大きすぎるから、一回じゃまとまらないぞ。
磯:だな。こんなもんにするか。また、機会を見てな。
ブ:おう、そうしようぜ。
追記
ということで、二回目もありそうです。
天台とは関係のない道鏡も非常に興味深い人物なので、いつか記事にしたいと思ってはいますが、、、