小谷野敦『文豪の女遍歴』幻冬舎新書

他人の色恋沙汰に興味を持つ人は多い。
この本には、有名な文学者、作家の異性関係・同性関係が紹介されている。
女性作家も登場するから、その場合は「文豪の男遍歴」か、同性愛者なら「女遍歴」か。
幕末生まれの夏目漱石、森鴎外、坪内逍遥から、昭和初期生まれの澁澤龍彦、開高健、江藤淳まで、数多くの文豪たちが俎上に乗せられている。

人の恋愛事情をあれこれ詮索するのはよろしくない、と考える人にはお勧めできない。
ただ、著者が指摘するように、少なからぬ作家が恋愛体験をもとに私小説や作品を発表する。
その場合、作中の人物のモデルとなった女性もしくは男性を調査しないと作品の理解が困難になることもあるようだ。
著者によると、徳田秋聲はその好例らしい。
谷崎潤一郎になると、『痴人の愛』の「ナオミ」のモデルや、『細雪』の「四姉妹」のモデルは結構有名なので、本書を読まずとも知っている人も多い。

こちらは、いわゆる「のぞき趣味」から本書を手にしたが、たいへん面白く読ませてもらった。
文豪の恋愛遍歴に関する記述はもとより、著者による当時の文壇事情の解説や各作家の人柄やその作品に対する感想がたいそう興味深い。
約六十人の文学者が名前を連ねているので、多少のネタバレはご容赦を願い、内容を少し紹介する。

まず、夏目漱石についての著者の解説から二点、以下に挙げる。

・漱石は妻以外の女性と関係をもったことは、おそらくない。(⇐著者はこの結論を出すために、「漱石の恋人探し」で名前の挙がった様々の女性について詳しく調べている)
・漱石が「国民作家」となった理由は、東大卒の英文学者であったのと、性的な体験を書く作家が多い中で、その方面には触れなかったので、中産階級の家庭で漱石なら読んでもいいという雰囲気があったからだ。

個人的に、特に興味深かったのは菊池寛の部分である。

菊池が貧しい時代の川端康成に資金援助をしていたのは、知っていたが、川端が菊池の代作を行った事実は知らなかった。
気になって、少し調べたら、菊池の『不壊の白珠』や『慈悲心鳥』は川端による代作であろうとのこと。
また、学生時代に菊池の友人が盗難事件をおこした際に、菊池がその男の罪をかぶり一高を退学した、というエピソードを別の本で読んだことがある。
その本の中では、真犯人は「S」というイニシャルで言及されていた。
本書では、その男の本名が記されている。
驚いたのは、菊池とその友人が同性愛の関係であったことだ。
かつては、菊池の「男気」にちょっと感動したこの「身代わり退学」の逸話だったが、「そうか、同性愛の相手をかばったのか」と、少し見方が変わってきた。
もちろん、それでも普通できることではないが。
やはり、菊池寛は大人物である。

一番、笑ったのは、宇野千代が、「徹子の部屋」に出演した時のエピソード。

黒柳「尾崎士郎さん、、」
宇野「寝た!」

宇野がえんえんと、「寝た男」の話を続けたらしい。
黒柳は、「あたし、あんなに、寝た寝たと、まるで昼寝でもしたように、お話になる方と、初めてお会いしましたわ」と笑っていたという。

著者である小谷野氏は有名作家達の恋愛模様だけではなく、その作品についても感想・意見をストレートに述べている。
例えば、吉行淳之介については、彼の私小説が幻想的に変わっていく作風は川端康成の世界を真似たものだろうが、川端の天才には遠く及ばない、とする。

有名作家に関する小ネタも多いので、一例を本書から。
銀座のバー「ルパン」にある太宰治の写真は有名である。
撮影した写真家は、当時の大人気作家である織田作之助を被写体にしていたが、太宰が「オダサクばかり撮らずに、俺の写真もたのむよ」と言った。
写真家の林忠彦は、太宰を知らなかったが、周りが「太宰も人気がある」と言ったので、撮影したという。

文豪の色恋沙汰だけではなく、様々な情報や著者の意見に教えられることが多かった。
作家によっては、参考文献を挙げているので、さらに調べたい人には有益である。
一読の価値あり!