某評論家に言わせると、今の自民党はかつての自民党が持っていた保守的要素がほとんどないらしい。
その某氏の意見では、自民党劣化(?)の種をまいたのは、小沢一郎(自民党時代の)だという。
そして、それを悪用したのが、小泉純一郎だとするのが、某評論家の意見である。
某氏の小沢と小泉に対する批判の当否に関しては、常連さんたちの判断にお任せする。
ただ、最近、第二次大戦中のナチスドイツに関する書籍を読んでいたら、小沢や小泉はヒトラーやゲッベルスの「宣伝戦」を真似したのでは、という気がした。
ヒトラーについては、改めて、説明する必要はないだろう。
では、ゲッベルスはどうだろうか。
私が、十代の頃には、「ゲッペルス」の表記がなされていた。
今では、「ペ」ではなくて「ベ」を用いて、ゲッベルスとするのが一般的らしい。
このゲッベルスは、ナチスドイツで宣伝大臣を務め、国内の全てのメディアを掌握して、プロパガンダの怪物とも称された人物である。
さて、ヒトラーの手法を見ていこう。
実に単純だ。
ドイツ人の頭の中に、「優れたドイツ人VS邪悪な敵」の図式を植え付けたのである。
ヒトラーのいう敵とは、「共産主義・ユダヤ人・ヴェルサイユ体制」などであった。
この独裁者は、以下のように語った。
「宣伝は単純化したいくつかの課題に絞って、右か左かを選択することに集中する」と。
要は、二者択一(ドイツ人の味方であるヒトラーVSドイツの敵である共産主義やユダヤ人)に持ち込むことで、当然のようにヒトラーの政策を支持するように仕向けたのだ。
さらには、宣伝(=扇動)する対象について、次のように言っている。
「宣伝は、知識人や上流階級を対象にするのではなく、大衆を魅了することに本質がある」と。
一方の、宣伝大臣のゲッベルスの考えも紹介する。
「スローガンは新しくなくてもよい。反復することで決定的な効果を挙げられる」
そして、ドイツ国内のラジオ、新聞、雑誌、あらゆる出版物を独占・統制して宣伝活動を行った。
ここで、小泉純一郎のやり方を振り返ってみたい。
小泉は、「自民党をぶっ壊す」というわかりやすいスローガンを何度も何度も繰り返した。
ゲッベルスが「反復することで決定的な効果を挙げられる」と喝破したのを知っていたのだろうか。
小泉は、2005年に郵政民営化関連法案が参議院で否決されると、衆議院を解散した。
その時の決め台詞が、「郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたい」だった。
まさに、ヒトラーの手法である、国民に二者択一を迫るやり方だ。
しかも、これは、「議会政治の否定」と言ってもいいかもしれない。
政治家の判断を無視して、世論に判断を委ねたのだから。
そして、自民党内で郵政民営化に反対する議員たちに、「抵抗勢力」というレッテルを貼り、公認もしなかった。
まるで、ヒトラーが「共産主義者やユダヤ人」を「敵」と認定したのと同じように。
さらには、その「抵抗勢力」の選挙区に「刺客」を送り込んだ。
政治は、もちろん、キレイごとだけでは成立しない。
政治家にとって、「政治≒権力闘争」の面も強い。
(政治の本質は、「統治」だが、ここでは触れない)
だから、小泉を一方的に批判しているわけではないが、、、
それにしても、冷静に小泉の政治手法(?)を分析すると、ヒトラーやゲッベルスの宣伝戦略が連想される。
いかにも大衆が好みそうな、「自民党をぶっ壊す」というスローガンの多用。
郵政民営化に「賛成か反対か」の二者択一を選挙の焦点にすえる手口。
民営化反対陣営を「抵抗勢力」と呼び、「敵」認定する行為。
小沢の場合はどうだったのか。
小沢は、改革に反対する議員たちを「守旧派」と呼んで攻撃した。
邪悪な「敵」を設定して、自分たちは「正義の味方」を気取るという手法を繰り広げた。
つまり、小沢のやり口を小泉が真似たとみることも間違ってはいない。
当記事の冒頭で、某評論家が「自民党劣化の種をまいたのは小沢だ」と評したのは、このことらしい。
とすると、小沢は小泉のやり方を、「ポピュリズム」だと批判したが、それは小泉が小沢政治を模倣した結果かもしれない。
周知の通り、小沢は官僚や公務員を悪役に仕立てて、大衆の人気取りに余念がなかった。
小沢は、自分たちの改革を、「反官僚」「政治主導」「民意の利用」などのスローガンで彩った。
これは、庶民にもわかりやすく、いかにも「仕事をやってます」感をアピールできる宣伝戦と見なしていいだろう。
大衆の味方を演じて、敵(=ここでは、官僚・公務員)を設定し、単純なスローガン(反官僚、民意の利用など)を繰り返して庶民の心に訴えかける。
ヒトラーやゲッベルスの手法と同じだと感じるのは、当ブログだけであろうか。
民主主義は、油断すると、すぐに「衆愚政治」をもたらす。
というか、すでに世界の民主国家のほとんどは、衆愚政治が蔓延している感がある。
今回の米大統領選挙をめぐる両陣営や支持者の動向などは、その典型だろう。
また、民主制は選挙のあり方によっては、いとも簡単に「独裁者」を生み出す。
ナチスは武力によってではなく、「選挙」によって実権を握ったという事実を忘れてはならない。
衆議員選挙が近い日本だが、さて、どの候補にするか、、、、、目下、考え中である。
それにしても、最近の日本の政治家はどいつもこいつも小粒ぞろいで魅力に欠ける。
まあ、自分がオヤジになったから、そう感じるのかもしれないが、、、、
と、いつのまにやら、話が本題からずれてきたので、今回はこのあたりにしておこう。