家の宗派を理解するための基礎知識 その2

基礎知識の第二弾です。
まず、その1の内容のふり返りを3点だけ。

*お釈迦さま自身は、生前一度も「お経」を唱えたことがありません。
⇒釈迦入滅後に、教えがまとめられたから。

*お釈迦さま自身は、生前一度も仏像を拝んだことはないのです。
⇒仏像が造られるようになるのは、紀元1世紀末ごろと言われています。
⇒ということは、釈迦入滅から数百年後ですね。

*日本に入ってきた仏教は、大乗仏教です。
⇒日本の各宗派が重要視する経典は、釈迦入滅から数百年後に成立したものです。

では、その1ではあまり触れていないところを見ていきます。

◎最初のお経の成立(第一回目の結集)
釈迦入滅、享年八十。
⇒釈迦の主だった弟子たちが集まって、師の教えを互いに確認し合い、合議しながらまとめて皆で記憶しました。

この時期には、教えを「文字化」するのではなく、誦出されて伝えていったのです。
要は、最初のお経は「口伝」だったのです。
暗唱しやすいように、簡潔な文句にまとめたり、韻文の形式を用いたようです。

◎その後の結集と文字化
約百年後に第二回目の結集が行われ、教えの確認のため話し合いをしたようです。
その後も、約百年後に第三回目、また時代が下がってから第四回目も実施されます。

釈迦入滅から数百年経ったころから、それまで「口伝」であった教えが「文字化」されていきます。
最初は樹の葉などに書き記すようになり、文書としての「お経」が誕生します。

◎教団の分裂(部派仏教のおこり)
何度も結集を行いながら、教えの確認作業をしていましたが、教団が拡大していくにつれて、主要な者たちで合議することが困難になっていきます。
要は、人数が多すぎて一斉に会議するのが不可能になるのです。

このあたりから、徐々に教団内部で立場や考えの違いから派閥が生まれ、ついには約20の学派が生まれます。
これを、「部派仏教」と呼んでいます。

◎約20の諸派の中から、後の「大乗」と「小乗(上座部)」が出てきます。
大乗と小乗をごく大雑把に説明すると

大乗=大きな乗り物=多くの人を救済することができる教え
小乗=小さな乗り物=出家者が自分の覚りを優先するもの

この「小乗」は大乗側から、「あいつらの教え・行動ではすべての衆生を救うことはできない。いわば、小さい乗り物だ」と批判されたことによります。
ですから、「小乗」の代わりに「上座部」を使うべし、との意見がありますが、一種の歴史的用語なので、遠慮なく使いたいと思います。

◎ぶっちゃけ、どちらが釈迦本来の教えに近いのか?

これは、ちょっと、回答しづらいですが、どちらかと言えば、小乗です。
お釈迦様は一切のしがらみ(家・家族・王子としての身分など)を捨てて出家し、覚りを開いたお方です。

ですから、本来の「釈迦の仏教」は「覚り」を求めるものです。
一方の大乗仏教はすべての衆生を「救う」ことを目指しています。
日本の各宗派の教えを思い出してもらうと、納得されると思います。

*小乗の経典=紀元前4~3世紀ごろに最初のお経が成立したとされています。
*大乗の経典=1世紀ごろに最初のお経が生まれ、その後も数百年間にわたり様々な経典が登場します。

お釈迦様の没年が確定していないため、経典の成立時期についても諸説あります。
ただ、小乗経典の方が古い(=釈迦在世時に近い)ことは間違いなさそうです。
ここから、小乗経典に「釈迦本来の教え」が説かれていると主張する人もいます。

ただし、この点は非常にデリケートなところですから、いろいろな意見がありますが、、、

◎最後に、日本人にとってショッキング(?)なことを

皆さんは、「大乗非仏説」ってご存じですか?
これは、大乗仏教は仏説(=釈迦の教え)ではない、と主張する学説のことです。

この説を認めてしまうと、日本の各宗派の教えはすべて偽物ということになります。
まあ、今回はこの言葉の紹介だけにしておきますね。

それにしても、二千数百年前のインドで、釈迦という不世出の天才が覚りを開いたことから始まった仏教が千変万化しながら、今なお世界中の千差万別の人々に多種多様な影響を与え続けています。

一粒の種から生まれた小さな木が、数千年の歳月をかけて、風雪をものともせず成長し、今日では四方八方に枝を伸ばす巨木として悠然と大地に根を下ろしているのです。

な~んか、不思議ですね。