前回、左翼イジリの記事を書いたら、なんか気分がスッキリしました。
というわけで、今回は得意ネタ?の仏教ものをやります。
まず、一発目は浄土宗にしました。
その理由は、、、
とにかく始めましょう。
◎宗祖は法然(1133~1212年)
浄土信仰に基づく日本鎌倉仏教のひとつであり、本尊は阿弥陀如来です。
だから、「南無阿弥陀仏」と唱えるわけですよ。
◎南無阿弥陀仏とは
「南無」とはサンスクリット「ナム」」の漢字音写であり、その意味は「お辞儀・礼拝する、帰依する」です。
だから、「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に帰依します」との意味です。
ちなみに、インドの挨拶「ナマステ」は「あなたにお辞儀します」が本来の意味で、普通「こんにちは」と訳されていますよね。
◎日本における浄土信仰の流れ
天台僧源信(恵心僧都)が985年に『往生要集』を著し、念仏の重要性を説き、浄土教の基礎を創りました。
天台宗が貴族化して民衆から遊離していき、その状況の中から念仏が勃興していったんですよ。
念仏行者の空也上人や一遍上人も庶民に念仏を伝えるのに大きな働きをしています。
◎法然は比叡山で学ぶ
周知のように、法然は比叡山延暦寺で学び、授戒を受けています。
最澄(伝教大師)が比叡山に一乗止観院を建てた時に、釈迦、阿弥陀、薬師の三尊を創っており、もともと天台宗の教義の中に浄土信仰が取り入れられているわけです。
法然上人の生涯については、割愛させてもらいますね。
◎『選択本願念仏集』
法然上人の主要著書と言われますが、自らの筆ではなく弟子によるものとされています。
一説には、口述筆記の可能性もあるとのことですよ。
さて、ここまでは割と一般的な知識ですが、せっかくですから、以下には少々マニアックな情報を列挙していきましょう。
*浄土教系統の代表的な経典は以下の三つで、合わせて『浄土三部経』と呼ばれています。
・無量寿経(むりょうじゅきょう)
・観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)
・阿弥陀経(あみだきょう)
*上で挙げた三つのうち、『観無量寿経』はインドではなく、中国で創作されたとの説が有力で、口の悪いブログ主に言わせれば「偽経」ということになります。
*阿弥陀仏は大乗仏教が創作したブッダですので、釈迦の時代の仏教には当然、存在しません。
そもそも、釈迦の教えは「自力」であり、浄土経系は阿弥陀仏に帰依する「他力」ですから、性質が正反対です。
*また、阿弥陀仏の出自?もハッキリしてないんです。
西方から流入して来た別の宗教の神を起源とする説があり、有力なのはゾロアスター教を起源とするのではないかというものです。
*浄土経の「他力本願」とは、換言すると、阿弥陀仏を唯一神として信仰(帰依)し、「救い」を求める考えであり、キリスト教に非常に似た構造を持っています。
*つまり、浄土教系(=浄土宗・浄土真宗)は「一神教」的な性格が強いということになります。
浄土宗の場合は、宗祖法然が教えを一部の高弟にのみ伝え、自らは戒を守り続けたためにそれほどでもありません。
(ただ、弟子の中には念仏以外の行を否定するものもいました)
しかし、浄土真宗は「一神教」的な面がかなり強いと考えられています。
とまあ、ここまで書いてきましたが、延々とマニア受けすることを続けても、愛読者の川口や磯貝からクレームが来そうなので、今回はこの辺にしておきます。
また、機会を見て、浄土真宗や天台宗や日蓮宗なども記事にしたいと思っております。