日ソ戦争に関しては、これまでに二つの記事をアップしている。
今回は、現代の日本が抱える北方領土問題と関連付けて、みていきたい。
◎ まずは、いまさら感もある中で、北方領土とは?
⇒北海道の東北に位置する択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島のこと。北方四島とも呼ばれる。
本来、日本固有の領土であるはずなのに、旧ソ連が大東亜戦争後に一方的に占領して以来、現ロシアにより今日まで不法占拠の状態が続いている。
◎ 北方領土は、なぜ「日本固有の領土」といえるのか?
⇒元々、日本はロシアに先駆けて、北方四島の存在を知っていた。
多くの日本人がこれらの島々に渡航し、徐々に平和的に四島の統治を確立。
そもそも、それ以前にロシア側の影響力が得撫(ウルップ)島以南に及んだことは一度もなかった。
1855年に日本とロシアの間で、日魯通好条約(下田条約)を平和的な形で調印して、択捉島と得撫島の間の国境を確認した。
それ以降も、北方四島が他国の干渉を受けたり、領土になったことは一度もない。
さらには、1875年の樺太千島交換条約を結んだことで、占守島から得撫島までの十八島を日本はロシアから譲り受けた。
つまり、千島列島全体は1875年以降、常に日本領であった。
◎ なぜ、ソ連は千島列島を占領したのか?
⇒当ブログで以前も書いたように、「ヤルタ秘密協定」がソ連に以下の項目を認めたからだ。
*サハリン島の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソビエト連邦に返還されること
*千島列島がソビエト連邦に引き渡されること
周知のとおり、ヤルタ秘密協定は、ローズベルト(米)とチャーチル(英)とスターリン(ソ連)という三人の巨悪の陰謀によって締結された。
米英が樺太と千島列島を勝手にソ連に提供する密約でスターリンの歓心を買い、対日参戦をけしかけたのだ。
今日の北方領土問題の原因は、この三人の悪党どもの身勝手な秘密協定にある。
日本人は、この事実を未来永劫、忘れてはならない。
現在、アメリカが日本の北方領土問題に関して、消極的な対応しかしないのは、過去の米大統領が絡んでいる事実を熟知しているからだ。
◎ お墨付きをもらったソ連の侵攻
それにしても、ソ連という国は常軌を逸した、卑劣な行動をとる。
言うまでもなく、玉音放送は8月15日。
ソ連が千島列島に侵攻し始めたのは、8月18日のことだ。
8月18日、ソ連は千島列島の最北端である占守島に上陸して攻撃を開始する。
日本軍も、自衛のために猛烈な反撃を加えた。
両者の激戦の後、8月21日に停戦が成立する。
この占守島の戦闘においては、ソ連側の被害の方が大きかった。
武力による強攻は愚策と実感したソ連は、その後、日本側の幕僚を案内人にして平和的に降伏勧告をする作戦に切り替えた。
占守島から、幌筵島⇒温禰古丹(おんねこたん)島⇒捨子古丹島⇒松輪島⇒新知島⇒得撫島へと南下していき、流血を避けながら占領していった。
その後、8月28日から9月上旬にかけて、北方四島も占拠した。
この不法占拠が今日まで続いている。
◎ 米のローズベルトもトルーマンも、案外、能天気なのでは?
ヤルタ秘密協定の当事者であるローズベルトやその後継者のトルーマンは、案外、甘ちゃんだったのだろうか?
千島列島は、ソ連(現ロシア)がアメリカを標的にする場合のミサイル基地として最適の場所にある。
実は、アメリカの軍人の多くは早くから千島列島の戦略的価値に注目していた。
米の提督や将軍たちは、先にアメリカが千島を押さえておくべきだったと不満爆発だったらしい。
表立って、大統領や国務長官を、非難するわけにはいかないが、何人もの将軍・参謀が怒り狂っていたという。
おそらくは、高位の提督や参謀の多くもヤルタ秘密協定の詳細を知らされていなかったのであろう。
しかし、当時の陸軍長官のスティムソンは協定の内容を知っていたようだ。
彼は、1945年7月に、「千島列島がソ連に割譲されるのなら、千島列島への永続的な上陸権を得るべきだ」とトルーマン大統領に進言したようだ。
それでも、トルーマンは千島列島をアメリカが占領する選択を取らなかった。
もし、仮に、トルーマンが秘密協定を反故にして、米軍が先に千島を押さえていたら、沖縄のように、戦後の一定期間の後、北方四島は日本に返還されていたかもしれない。
◎ おわりに
先述のように、北方領土問題の原因はヤルタ秘密協定にある。
ローズベルト、チャーチルそしてスターリンという三大悪党が諸悪の根源である。
さて、2019年9月、ロシアのプーチンは「北方四島はスターリンが全てを手に入れた。議論は終わりだ」と語ったという。
日本の政治家の中に、プーチンと交渉できる人物はいないのだろうか?
追記
2020年7月にロシアでは、全国投票により憲法が改正された。
その中には、領土の割譲を禁じる条項が盛り込まれた。