いよいよ、衆院選投票日(10月27日)が近づいてきた。
自民党の単独過半数割れ、自公合わせても過半数に届かないおそれ、などの予測・噂が飛び交っている。
そこで、今回は、改めて、創価学会と公明党について、ごく基本的な情報を紹介する記事としたい。
ただ、以前に「日蓮正宗とは?創価学会とは?両者の関係は?」という記事をアップ済みなので、未読の方々は先にそちらに目を通していただければ幸いです。
◎ 創価学会とは?
1930年に、牧口常三郎が教育団体として設立した。
この牧口が日蓮正宗を信仰するに至って、この団体が日蓮正宗の信徒組織へと性格を変える。
初代の会長を牧口が務めた、この組織は、当初は「創価教育学会」と名乗っていた。
牧口の死後、二代目を継いだのが、戸田城聖である。
戸田は、1946年3月に、創価教育学会から「創価学会」へと名称を変更。
組織の再建と拡大を図っていく。
◎ 戸田体制下での急成長と三代目の池田大作
当初、創価学会の会員数は5000人程度、世帯数では1000ぐらいであった。
それが、戸田体制の布教活動で、瞬く間に会員数を増やし、1958年には100万世帯に達したという。
この、58年に戸田は亡くなった。
1960年5月に、池田大作が三代目会長に就任する。
池田の指導の下、学会は勢力を拡大し、1960年には150万世帯を突破し、64年には500万世帯を越えたとされる。
現在、創価学会は公称・827万世帯の会員を擁する巨大教団である。(あくまで、「公称」)
◎ 政界への進出
戸田体制の創価学会は文化部を設置し、政界進出を狙う。
1955年4月の地方議会選挙で以下の結果を出した。
⇒東京都議会1名、23区の区議会で23名、他の都市の市議会で19名が当選。
翌、56年の参議院選挙では、全国区で2名、大阪地方区で1名を当選させた。
さらに、59年の参議院選挙では、248万票を獲得して、6議席を確保した。
◎ 公明党の誕生
三代目の池田大作の時代に、学会の政治活動はさらに勢いを増す。
1961年に、文化部にかわって、「公明政治連盟」を結成。
これが、64年の「公明党」結党につながっていく。
1967年には衆議院選挙にも打って出て、公明党は25議席を獲得して、野党第三党にまで躍進する。
1979年の衆議院選挙では、57議席に達した。
◎ 政権与党としての公明党
1993年、細川内閣において結党以来、初の与党入りを果たす。
1999年、再度与党入り。この時は自自公連立政権であった。
2012年、衆議院選挙で31議席を獲得し、自公政権が復活。
煩雑になるといけないので、94年の分党や、2009年の鳩山内閣時代の事情は割愛する。
さて、2024年10月の衆議院選挙の結果で、自公が過半数を確保できれば、公明党は与党の立場を維持できるが、、、、
どうなりますことやら。
◎ そもそも、政界進出を目指した戸田城聖(二代目会長)の狙いは?
まずは、戸田自身が講演会で語ったことを紹介する。
1956年3月に行われた本部幹部会において、参議院選挙に候補者を出す意義として、「選挙を文化活動」と位置付けた。
そして、具体的に選挙戦に出る理由を具体的に、以下の2点としてまとめている。
1 選挙となると会員たちが真剣に取り組むので、支部や学会の信心を強固にするために使える
2 創価学会は選挙資金が豊富ではないので、公明な選挙となるから、国家を救済することに役立つ
以上の2点については、当ブログはコメントしない。
しかし、研究者の中には、創価学会の政界進出は、日蓮正宗の「国教化」を狙ったものだと指摘するものも多い。
戸田自身は、この疑惑を否定していた。
創価学会の機関紙『大白蓮華』の中で以下のように説明している。
「しかし、われわれが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇(本門の戒壇)の建立だけが目的なのである」と。
この内容に関しては、戸田の反論とは逆に、多くの識者が、創価学会が日蓮正宗国教化を目指していることの証拠だと考えていた。
なぜなら、「国立戒壇」を建立するためには、国の承認を得る必要があるのは自明だからだ。
そして、日本政府が国立戒壇を認可するならば、実質的に日蓮正宗の国教化を意味することになる。
ただ、周知の通り、1990年代に創価学会は日蓮正宗から破門された。
◎ おわりに
創価学会の、現在の会長は原田稔である。
2006年11月に就任した、この四代目会長には、あまり関心がない。
従って、名前だけを紹介する。
さて、今回の衆議院選挙で公明党は議席をいくつ獲得できるのだろうか。
27日の日曜日は、行きつけの居酒屋で一杯やりながら、選挙速報なども時折チェックするとしよう。