今東光シリーズ第三弾は『毒舌文壇史』。
これまで紹介した著書のタイトルにはすべて、「毒舌」が付いてます。
まあ、東光和尚と言えば、「毒舌」というキーワードがつきものだったので、、、
ところが、東光大和尚が亡くなった後に、朝日新聞『天声人語』が和尚を追悼する中で、以下のエピソードを挙げております。
ある雑誌の編集者が和尚に原稿を依頼した。
快諾した和尚が、数日後に差し出した原稿は真面目で考証のしっかりした論文形式のものであった。
和尚の「毒舌」ものを期待していた編集者としては当てが外れたことになる。
恐る恐る、掲載見合わせの報告をしに顔を出すと、和尚はいささかも怒ることなく、
「そうかい。やはり、こういうのはダメかね。でも、ボクだって真面目なもの書けるんだよ」とやや寂しそうに言ったそうだ。
この後、『天声人語』の筆者はこう結ぶ、「今さんはおそらく、毒舌和尚という肖像画とはちがった像を世に残しておきたかったのだろう」と。
当時のその筆者さんに言いたい、「和尚のファンなら、毒舌だけの人ではないことは十分承知していますよ」。
第一弾の『毒舌日本史』を読んでもらえば、いかに東光和尚が博識か思い知らされます。
さて、今回の『毒舌文壇史』は今東光氏が明かす文壇の裏話。
梶山季之との対談を中心に本に構成した形式です。
若き日の東光和尚が交流した作家、画家、学者たちの生々しい姿を、毒舌とユーモアで活写しています。
登場人物の多彩なこと。
内村鑑三、川端康成、菊池寛、芥川龍之介、直木三十五、谷崎潤一郎、佐藤春夫、藤沢淸造、梅原北明、東郷靑兒、関根正二、生田長江、とまあキリがないのでこの辺で。
多少のネタバレはご容赦願い、内容を少し、箇条書きで紹介。
*久米正雄の結婚披露宴が帝国ホテルで行われた。そのお祝い金を預かった牧師が、女を連れて別府に逃げた。
*川端康成の前では、菊池寛は「蛇に睨まれた蛙」状態。さんざん、金をむしり取られた。
*新国劇で中里介山の『大菩薩峠』が上演され、その劇評で久保田万太郎が辛辣に批判した。激怒した介山が久保田に決闘を申し込んだ。
*谷崎潤一郎の親戚に「アオザシのおじさん」と呼ばれる人がいた。谷崎の『刺青』を「しせい」と読めずに、「おい、潤ちゃん、おめえの書いたアオザシって小説すごく評判だってな」と言ったのがその由来。
*佐藤春夫は超庶民的な店に行くにも、背広にネクタイ、ちょび髭に山高帽。店の店員が、料理もって、足で障子を開けながら、「あい、チャップリン来たよッ」
もともとが対談だから、実際には、和尚の「べらんめぇ」口調が楽しめます。
モグリの東大生時代の川端康成との交流、『新思潮』の同人になるまでのいきさつ、菊池寛との親交と喧嘩別れ。
和尚の語り口が魅力的で、臨場感にあふれていて、まるでドラマを見ているよう。
袂を分かった菊池寛とのやりとりでは、菊池氏に対する懐かしさ、敬愛の気持ちが伝わってきます。
菊池寛が、いかに、若い作家たちの面倒をみたか、どれほど多くの人を援助したか、様々な実例を挙げていく和尚。
二人のイザコザが題材なのに、なんかほのぼのとしてくるのはお二人の人柄でしょうか。
今氏が生涯の師と仰いだ谷崎潤一郎との数々のエピソードは読みごたえ満点。
東光和尚が唯一、「先生」と呼んだのが谷崎氏であり、その作品の完成度の高さ、学殖の豊かさを絶賛します。
また、俗に三角関係と言われた谷崎と最初の妻である千代子と佐藤春夫、この三人の実像。
その人間模様を実際に自分の目で見てきた今東光氏ならではの具体的で細かい描写に読者は惹きつけられます。
谷崎夫妻が離婚後に、佐藤と千代子は結婚しますが、その後の三人の話にも和尚は言及。
さらには、佐藤春夫が浮気をするとすぐにバレてしまう理由もしっかり説明します。
とにかく、これでもか、というくらい次から次に文壇秘話が炸裂!
他に類を見ない、唯一無二の文壇史!
巻末に番外編として、「川端康成との五十年」という一文を寄せて親友だった川端氏の冥福を祈る東光和尚。
その中から、少し紹介。
今氏は川端康成の戒名を、「文鏡院殿孤山康成大居士」とつけました。
その「文鏡院」には、「文の鏡」という意味のほかに、川端氏が若いころに好きだった泉鏡花の「鏡」を入れたと和尚は語ります。
さらに、「孤山」には文壇の中で「孤立してそびえている」という意味と、若き川端の魂の形成という意味も含めているとのこと。
五十年の親交を背景にしたこの追悼文は、まさに和尚ならではのもの。
他の作家には書けない唯一無二の文章です。
和尚が体験・見聞を洗いざらいぶちまけて生まれたこの作品。
秘話満載、有名作家の人間臭い姿が見事に描かれた今東光『毒舌文壇史』。
古書店で探して、ぜひお読みください。