今日の朝ドラ『らんまん』(9月20日)には熊楠の「く」の字も無し⇒もう視るのやめようかな

まあ、予想はしていました。
昨日で神社合祀関係は一段落つきましたから。
そう、予想はしていました、はい。

それでも、なんかこう、胸の中に漂う寂寥感。
はぁ~、出るのはため息ばかりなり。

ということで、この記事はこれにて終了!

冗談はさておき、今回は関東大震災に襲われた万太郎。
ちょうど今から100年前のこと。

1923年(大正12年)9月1日11時58分。
ドラマの万太郎は、東京・根津の長屋の部屋で被災。
家族には、早く避難しろ、と勧めながら、自分は標本を救うことに専念する。

では、実際のところはどうだったのか。

⇒実際の牧野富太郎は、当時は渋谷に住んでいた
⇒膨大な植物標本は、神戸の資産家(池長孟)が買い取っており、神戸に保管されていた

すでに神戸に移っていた30万点にも及ぶ植物標本は無事。
また、当時の渋谷の自宅や近辺も比較的に被害は小さかったようだ。
ただ、それでも牧野夫妻は東京の中心地から郊外への引っ越しを考えるようになる。

大震災から3年後、夫妻は現在の東京都練馬区東大泉に家を建てた。
場所選びから、その他もろもろ、一切を壽衛が進めたという。
この時、牧野富太郎、64歳。

東大泉に居を構えた翌年、1927年(昭和2年)、牧野は理学博士の学位を受ける。
「牧野博士」の誕生である。
時に、牧野富太郎、65歳であった。

と、ここで、ふと気づく。
パソコンのキーボードを打つ指にイマイチ、元気がないな~、と。

わかってます。
朝ドラ『らんまん』は牧野富太郎博士を讃えるための作品です。
百も承知です。

でも、やっぱり、、、、

今回はこの辺で。