イスラエル・ハマス戦争は、まだまだ終わりそうにもない。
先日、ハマスやムスリム同胞団について簡単に触れた記事をアップした。
今回は、その大本のイスラム教についてごく基本的な事柄を紹介したい。
◎ 開祖はムハンマド(570年ごろ~632年)
イスラム教の開祖はメッカの商人であったムハンマドである。
当時、メッカはアラビア半島の交易都市として大いに栄えていた。
ムハンマドは、メッカの支配部族であったクライシュ族の出身である。
ムハンマドは、610年頃に、瞑想中に神から啓示を下されたと自覚した。
この神が、唯一神であるアッラーである。
日本語では、しばしば「アッラーの神」という表記を見かけるが、これは誤解。
アラビア語で「神」を「アッラー」という。
要は、「アッラー」は神の名前ではないため、「アッラーの神」という日本語は誤用となる。
ムハンマドは、様々な偶像を崇拝する多神教にかわって、厳格な一神教であるイスラム教をとなえた。
イスラム教の聖典は『クルアーン(=コーラン)』であり、ムハンマドにくだされた神のことばの集成であり、アラビア語で記されている。
*かつては、『コーラン』の表記が多用されていたが、『クルアーン』の方が原音に近いとされる。
このクルアーンは、ムハンマドの死後にまとめられたもので、神の言葉であるから、アラビア語から他言語への翻訳はできないとされる。
したがって、英訳や日本語訳は、あくまで「解説書」「注釈書」扱いを受けるようだ。
◎ ムスリム=帰依者=イスラム教徒
イスラム教を信じるものを「ムスリム」という。
ムスリムとは「帰依者」を意味する。
イスラム教の教義の中心は、アッラーへの絶対的服従であり、そもそも「イスラム」とはアラビア語で「神に服従する」「神に身をゆだねる」という意味。
ムスリムの信仰と行為を、簡潔にまとめたものが「六信五行 ろくしんごぎょう」である。
◎ 六信五行とは
ムスリム(=イスラム教徒)は、六つのものを信じ、五つの行を実践する。
*六信とは
神⇒唯一絶対の神(アッラー)を信じる。
天使⇒霊的存在としての諸天使を信じる。
各種の啓典⇒クルアーン(コーラン)をはじめ、先行するユダヤ教・キリスト教の聖書なども信じる。
預言者(使徒)たち⇒開祖である預言者ムハンマドのみならず、ユダヤ教の預言者やキリスト教の開祖イエスなども含む。
来世⇒神が「最後の審判」を下した後に、楽園(天国)もしくは地獄へと向かう。
神の予定(定命)⇒人間の運命を神が定めていることを信じる。
*五行とは
信仰告白⇒「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒である」という二つの文言で神と預言者に対する態度を表明する。
礼拝⇒未明、昼、日没前、日没後、夜の五回、メッカに向かって作法に従い、礼拝する。
喜捨⇒自発的な喜捨に加えて、財産に一定率で課せられる喜捨を行う。
断食⇒イスラム歴の断食月(ラマダーン)に成人男女が守るべき飲食と性に関する禁欲。
メッカ巡礼⇒巡礼できる財力や体力がある者のみが、巡礼月に作法に則って行う。
◎ 開祖ムハンマド死後のイスラム教
ムハンマドの死後、イスラム教徒は共同体の指導者として、アブー・バクルをカリフに選んだ。
この「カリフ」とは、アラビア語の「ハリーファ=後継者」のヨーロッパなまりである。
さて、カリフは、初代アブー・バクル⇒二代目ウマル⇒三代目ウスマーン⇒四代目アリー、と継承されていく。
上記の初代から四代目アリーまでを、「正統カリフ」という。
◎ スンナ派とは? シーア派とは?
前段で紹介した四代目カリフであるアリーを、カリフと認めない勢力があった。
それがアリーと対立していたシリア総督のムアーウィアであり、カリフ権を巡る争いの中で、アリーは暗殺される。
そして、ムアーウィアはカリフとなり、661年にダマスカスにウマイヤ朝(661~750年)を開いた。
これ以降、カリフはウマイヤ家の世襲となる。
イスラム教徒の多くはウマイヤ朝の権威を認め、この多数派がスンナ派と呼ばれた。
この「スンナ」とは、ムハンマドの言行(=スンナ)のこと。
スンナ派は、ムハンマドの言行(=スンナ)を生活の規範とし、共同体の統一を重視する。
今日のイスラム教国においても、スンナ派が圧倒的に多数派を占めていて、シーア派が多数なのはイラン・アゼルバイジャン・バーレーン・イラクぐらいである。
一方、アリーを支持していたシーア・アリー(アリーの党派)はウマイヤ朝を認めなかった。
この勢力がアリーの子孫を指導者(イマーム)と認めるシーア派へと発展する。
シーアは、「党派」「追随者」を意味することばである。
シーア派は、イスラム教徒全体の10~20%だと推定される。
今日の世界に目を向けると、ハマスはスンナ派で、ヒズボラはシーア派。
つい先日、崩壊したシリアのアサド政権のアサド親子はアラウィー派。
このアラウィー派はシーア派の一分派である。
父親のハーフィズ・アサドは少数派のアラウィー派でありながら、多数派のスンナ派を見方につけ、独裁政権を確立した。
◎ おわりに
今回は、ごく基本的な内容のみにとどめた。
また、機会があれば、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教を並べて、簡単に比較する記事を作成したいとは思っているが、、、