1と2で訳した部分をつなげます。
名詞構文を意識しない場合
⇒真理探究としての本来の科学に対して、強い不信感ではないにしても一般的な無関心がある。なぜなら、普通のアメリカ人にとっては、科学とは機械の発明と同じものだからだ。アメリカ人に、アメリカ最大の科学者の名前を挙げるように要求すると、おそらく「エジソンです」との答えが返ってくる。国家として、私たちは科学の実用的な活用のみを尊重し、科学上の発見者の努力よりも発明者や支援者の努力を高く評価する。
名詞構文をほぐしたり、細かい情報を出してみた場合(いわゆる意訳)
⇒本来の科学は真理を探究するものだというとらえ方に、強い不信感を抱かないまでも一般的には人は関心を持たない。というのは、普通のアメリカ人は科学とは新しい機器を発明することだとみなしているからだ。道行くアメリカ人に、「アメリカ最大の科学者は誰ですか」と問えば、まず間違いなく「エジソン」と返ってくる。アメリカ国民は科学を実用的に活用することだけを讃えており、科学の法則や定理を発見した学者の研究活動よりも発明者や支援団体・業界の取り組みのほうを高く評価するのである。
ぶっちゃけ訳(正確さには欠けているかもしれません)
本来、科学は真理を探究するものだけど、これに対して一般人は「そんな、バカな!」とまではいかなくても、「へぇー、そうなの?」ぐらいの反応しかない。なぜなら、普通のアメリカ人は頭の中で「科学=新機器の発明」と考えているからね。アメリカ人に「アメリカ最大の科学者は誰?」ときいたら、ほとんどの場合「エジソン」という答えが返ってくるよ。アメりカ国民は科学が実生活の役に立ってはじめて「凄い」と思う性格だから。有名な法則や定理を発見した科学者たちの研究なんかより、新製品を出す発明者や後援企業の開発努力のほうがアメリカ人の目には「偉い」と映るんだ。
とりあえず3パターンの訳を出してみました。
実はもう何パターンか、言葉を変えたり、情報の加減をしながら試訳をつくりました。
でも、ここで公開するのは控えます。
その理由は参考書の著者(ここでは、西きょうじ先生)と編集の方々の凄さにあらためて気づいたからです。
参考書という限られた紙面の中で、どこまで情報を盛り込むのか、どの程度まで文法・語法の説明を行うのか、どこまで訳すのか、このような難問と対峙しながら締め切りという時間的制約にも苦労しながら作業を進めていく。
並大抵のことではないと思います。
一方、ブログなら好きなだけ時間をかけて書きたいことは全部書けます。
自分の今回の1と2を読み返すと、なんかダラダラダラダラ締まりのない記述が続いてます。
ちょっと時間をおいて、見直しをします。
今回、久しぶりにいわゆる入試英文を自分なりに読解してみました。
かなり苦労しましたが、結構楽しいものでした。
プロの凄さを再認識するきっかけとなりました。