イスラエル・ハマス戦争開始から、一年を超えた。
まだまだ、先は見えない。
つい先日、ハマスの最高指導者とされるヤヒヤ・シンワル氏がイスラエル軍に殺害された。
これは、イスラエルにとっては大きな勝利で、ハマスにとっては深刻な打撃である。
しかし、両者の戦争は、間違いなく今後も続く。
イスラエルがハマスの指導者・幹部を殺しても、必ず、後継者が現れるからだ。
さて、本記事では、改めて「ハマスとは何か?」という問いに回答したい。
◎ ハマスとは何か?
1987年12月14日、ムスリム同胞団のパレスチナ支部が、その闘争部門としてハマス(「ハマース」との表記もある)を結成した。
この「ハマス」とは、「イスラム抵抗運動」を意味するアラビア語の略称であり、1988年8月に、自らの政治綱領である『イスラム抵抗運動「ハマス」憲章』を発表した。
ハマスの目的はパレスチナをイスラム国家にすること。
そのためには、パレスチナを完全に解放しなければならない。
要は、ハマスの究極の狙いは、イスラエルの殲滅であり、その手段としてジハード(聖戦)を行う姿勢を明確にしている。
最初から、武力によるイスラエル壊滅を目標とする武装組織である。
ハマスは、アメリカ、イギリス、EU、カナダ、オーストラリア、イスラエルから、テロ組織認定されている。
日本は、「資産凍結対象リスト」の中に、ハマスやタリバンを「公告国際テロリスト」として掲載。
*英国のBBCはハマスに言及する際に「テロ組織」と表記していないようだ。
おそらくは、「公平中立」を気取りたいのだろう。
日本のマスゴミも、何に忖度しているのかは不明だが、同様の配慮(?)をしているようだ。
また、日本人コメンテーターの中には、ハマスをかばうような発言をする者もいる。
この件に関しては、また改めて、記事にしたい。
◎ では、ムスリム同胞団とは何か?
ムスリム同胞団とは、1928年にエジプトにおいてハサン・バンナーが結成したアラブ世界最大のイスラム主義運動である。
イスラーム復興と外国支配からの解放を目的として活動し、エジプトでは最大の動員力を有しており、アラブ各国に支部を開設している。
エジプトを始め、シリア、サウジアラビア、ロシア、アラブ首長国連邦、日本などがこのムスリム同胞団をテロ組織と認定している。
この同胞団が、20世紀から今日まで、様々なテロ活動を展開するイスラム原理主義の最も主要な思想的・組織的源流とみてよい。
先述のように、ハマスはこの同胞団のパレスチナ支部の闘争部門として誕生した。
1948年の第一次中東戦争には、ムスリム同胞団は義勇兵として参加する。
敗戦後は、過激化して外国人襲撃などのテロ行為を行った。
その後、1954年にナセルが大統領に就任すると、ムスリム同胞団を厳しく弾圧する。
構成員を減らした同胞団は、武装闘争路線を縮小したが、それに反対した団員が離脱してパレスチナ解放運動(ファハタ)を結成することとなる。
1970年にナセルが死去。
大統領になったサダトは、ナセルとは一転して、ムスリム同胞団を容認した。
しかし、サダトが第四次中東戦戦争後に、イスラエルとの和平政策に舵を切ると、ムスリム同胞団はこれに反発。
同胞団の一派がサダトを暗殺する。
さて、1980年代に闘争気運が盛り上がり、以前に同胞団を離れたメンバーがパレスチナ・イスラーム・ジハード運動として闘争を展開した。
その中で、87年12月にインティファーダ(民衆蜂起・一斉蜂起)が起こり、これを機に同胞団がハマスを結成した。
*エジプトにとってみれば、ムスリム同胞団は国内で数々のテロ行為を行い、かつての大統領も暗殺したイスラム過激派組織である。
しかも、同胞団はハマスの母体でもあるから、両者ともエジプトにとってはテロ組織であり、打倒すべき敵である。
エジプトがガザ地区からの難民の流入を極力食い止めたいのは、難民の中にテロリストが紛れ込む可能性があるからだ。
◎ インティファーダとは何か?
インティファーダとは、「民衆蜂起」とか「一斉蜂起」などの日本語訳が充てられるアラビア語。
具体的には、1987年12月ごろからガザ地区のパレスチナ人たちが、主に「投石」などの戦法によってイスラエル側に戦いを挑んだものである。
87年12月に、ガザ地区の某難民キャンプでユダヤ人入植者がパレスチナ人に刺殺されたり、その数日後にイスラエルのトラックがパレスチナ人労働者を乗せた二台の車に衝突して、労働者数人が死亡する事件・事故が起こった。
車の事故は、数日前に刺殺されたユダヤ人の親族による報復だとの噂がパレスチナ人の間で広まった。
そのため、パレスチナ人による抗議デモへと発展した。
イスラエル軍が難民キャンプを包囲すると、「ジハード(聖戦)!」の叫び声とともに、パレスチナ住民から一斉に投石攻撃が始まった。
このインティファーダはヨルダン川西岸にも飛び火して、大規模な住民の抵抗運動と化した。
さて、「民衆蜂起・一斉蜂起」との呼称ではあるが、もちろん、ムスリム同胞団の下部組織やこの蜂起を契機に結成を宣言したハマスの活動家が背後で蠢いていた。
さらには、PLO中心のインティファーダ国民統一司令部などが指揮を執っていた。
組織だった闘争活動の陰に、指導者や扇動者がいないはずがない。
しかし、「民衆蜂起」という言葉には国際社会の世論も同情的で、パレスチナ自治を認めさせるための推進力となった。
*ハマスは、インティファーダ勃発後の1987年12月14日に結成された。
◎ おわりに
今回、ハマスとその母体であるムスリム同胞団、およびハマス結成の一因となったとされるインティファーダについて簡単に振り返ってみた。
常連の皆さん方、なんかゴチャゴチャしていてわかりにくいな~と感じられましたら、ご指摘ください。