大航海時代(=大侵略時代=大虐殺時代)のスペインの悪逆非道ぶりについては、当ブログで紹介済みだが、、、
今回は、いかに当時のスペイン人が身勝手な屁理屈をこねていたか、見ていきたい。
何はともあれ、以下の1~4の項目に目を通していただきたい。
1 インディオはアリストテレスのいう「先天的奴隷」、つまり、生まれながらにして理性を欠き、愚鈍であるがゆえに、理性を備えた人(=スペイン人)に従うべき「自然奴隷」である。
2 インディオは偶像崇拝や人身犠牲など、自然に反する罪を犯している。
3 圧制的支配(人身犠牲など)から弱者(奴隷となるひとびと)を救う。
4 インディオをキリスト教世界へ導きいれるのはスペイン国王がローマ教皇から授かった使命(義務)であり、その目的を達成するために軍事力を行使するのはやむを得ない。
ざっと見ただけでも、内容のデタラメさに唖然とする!
やれ、インディオは生まれながらに理性を欠き、愚鈍である、とか。
やれ、インディオをキリスト教世界に導き入れるのはスペイン国王の使命だ、とか。
何を勝手なことをほざいているんだ!
この独善的というか笑止千万な1~4の文章は、ファン・ヒネース・デ・セプールベダという人物の書物の一節らしい。
セプールベダは、16世紀当時に有名であった、アリストテレス学者だという。
この学者は、ローマ教皇庁に仕えていた時に、オスマン帝国(=カトリックにとって異教徒)との戦争を正当化する理論を構築した人物。
それが、スペインのインディアス征服戦争の是非をめぐる論争にも、しゃしゃり出てきたわけだ。
そして、自著の中で、前述の1~4のような戯言をいけしゃあしゃあと唱えた。
このセプールベダと激しく対立して、論争したのが例のラス・カサス。
ラス・カサスについては当ブログで何度か取り上げた。
再度、ここで記すが、ラス・カサスに興味がある方は、『インディアス破壊についての簡潔な報告』(ラス・カサス著 篠田秀藤訳 岩波文庫)を一読してほしい。
当ブログの「読書感想」でも、この書について紹介している(って、宣伝か! 失礼)。
話をセプールベダとその身勝手な屁理屈に戻す。
アリストテレス哲学の専門家とされるセプールベダは、16世紀中ごろに、『第二のデモクラテス。 インディオに対する戦争の正当原因をめぐる対話』という対話形式の書を完成させた。
先述の1~4の項目は、その内容の一部である。
約500年前の時代に現代の感覚を当てはめるのは、無理があるとは思う。
人権思想の欠片もない大航海時代(=大侵略時代)のことであるから、、、
(フランス革命の幕開けは、1789年だとされる)
しかし、それにしても、酷すぎないか?
インディオの奴隷化を正当化するために、アリストテレスの学説を持ち出すことに何の意味があるのか?
当時の西欧社会で権威を持っていた哲学者の名前を出せば、何をしても許されるのか?
インディオの歴史や文化とは一切の接点もない人物や思想を錦の御旗にするなど、デタラメもいいところだ。
つくづく、一神教は怖ろしい。
こんなことを書くと、佐藤優氏あたりから、「一神教が怖ろしいなどと言うのは、居酒屋談義レベルの意見だ」と言われそうだが。
しかし、当時のローマ教皇と西欧列強がタッグチームを組んで、世界各地をキリスト教化(=植民地化)していたのは、誰も否定できない歴史事実であろう。
戦国から江戸時代にかけての日本ぐらいではないのか、西欧列強に対抗できたのは。
ローマ教皇庁やセプールベダのキレイごとは、「インディオをキリスト教世界へ導き入れる」=「インディオを救うこと」であろう。
だが、コンキスタドールが実際に行ったことは、ラス・カサスの書によれば
「キリスト教徒があれだけ大勢の人びとを殺め、無数の魂を破滅させるに至った原因はただひとつ、彼らが金を手に入れることを最終目的と考え、できる限り短時日で財を築き、身分不相応な高い地位に就こうとしたことにある。すなわち、キリスト教徒が世界に類を見ないほど飽くなき欲望と野心を抱いていたことにある」
自身がキリスト教の宣教師であるラス・カサスの言葉である。
大航海時代(=大虐殺時代)のキリスト教徒たちは、欲望の赴くままに財宝と地位を求め、そのためには、異教徒や異民族の命など虫けら同然の扱いをしたのである。
宗教の専門家や学者が何と言おうが、一神教は怖ろしい!
キリスト教は恐ろしい!
つくづく、これが素人の実感である。