後輩の酒井がキジの画像と鳴き声の聞こえる動画を送ってきた。
どうやら、自宅の庭らしい。
羨ましい話だ。
うちの実家の樹木にウグイスは顔を出すが、キジはとんと見たことがない。
キジは日本の国鳥。
その関係からか、諭吉一万円札の昭和59年発行分には、裏面にキジ雌雄が描かれているらしい。
今後、諭吉さんの裏を確認してみよう。
キジは美味しいとの評判だ。
愛知県の「きしめん」は、キジ肉が入った「きじめん」が語源だとする説もある。
この件について詳しい人がいたら、ご教授ください。
キジといえば、桃太郎さんかな、、、「お腰につけたキビ団子~、、、、」。
犬・猿・雉の三点セットの一員。
ところで、鬼退治のお伴がなぜ、イヌとサルとキジなのかについては、真偽のほどは知らないが、以下の説明をどこかで読んだことがある。
昔の人にとっては、陰陽五行説はなじみ深いもので、「鬼門」などをずいぶんと気にしたものだ。
この鬼門は「丑寅」の方角(=北東)にあたる。
日本の鬼の図案が「牛の角に虎柄パンツ」なのは、鬼門の「鬼」と丑寅の結びつきから生まれたらしい。
十二支を時計回りでみると、申・酉・戌(サル・トリ・イヌ)が南西にある。
南西は北東の反対側であり、「裏鬼門」だとするのが陰陽五行説。
ここから、北東(鬼門)には、南西(裏鬼門)から攻めていくのが理にかなっていると考えたようだ。
(ただ、厳密には、南西は羊と猿のようだが、、、、まあ、気にしない、気にしない、鬼門も裏鬼門もしょせん迷信だから)
他にも、儒教がらみで解釈する説もあるようだが、、、
さて、鬼門とか裏鬼門とかの話題になると、しばしば耳にするのが、例の平安京にまつわる小ネタ。
平安京大内裏から見て北東(鬼門)に比叡山延暦寺を置き、南西(裏鬼門)に石清水八幡宮を配置した、という有名な話。
俗に、「鬼門封じ」とかなんとか呼ばれているようだ。
もともと、「鬼門」という考えは、大陸の陰陽道由来らしいが、日本の習俗や俗信と結びつきながら独自に変容したという。
本場(?)中国の陰陽道には、そもそも「鬼門封じ」などの概念はないようだ。
そこは、外来文化を受容する際に、和風アレンジするというか、都合よく我が物にするのが、日本人のお家芸だから。
しかし、こういう分野は、例の「風水」等とも相性がいいらしく、「京都は風水都市である!」と主張する人も多い。
ただ、この「平安京=風水都市」説は、どうやらトンデモらしいが、、、、、
これはこれで記事ネタになりそうだから、またの機会に。
鳥のキジに話をもどそう。
キジが国鳥に選ばれた理由は様々で、日本固有種だ、雄は美しく・雌は母性愛が強い、などが挙げられる。
もうひとつ興味深いのは、キジが狩猟鳥である事実。
昭和22年に国鳥に選定された際に「食べてもおいしい」も理由のひとつだった、って知らんけど。
要は、キジは狩って剝製にしようが、食用にしてもいい。
国鳥なのに、、、、、なんだかな~。
食材としてのキジの記述は、少なくとも平安時代まで遡ることができるようだ。
あの『大鏡』に酒の肴としての言及があるし、さらに時代が下がって、兼好法師の『徒然草』第118段にも以下のような内容がある。
⇒「鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、双なきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず。そのほかは、心憂きことなり」
(現代語訳)魚のうちで鯉だけは、天皇や上皇の御前でも切りさばいて調理されるものだから、高級魚である。鳥では雉だけが格別な存在だ。雉や松茸などは、御湯殿(おゆどの)の棚の上にそのまま置かれていても問題はない。そのほかのものを調理前の姿で置くことは、不快なことだ。
兼好の文から、その当時は、魚では鯉、鳥では雉が最高の品位をもつ食材であったことがわかる。
それにしても、繰り返しになるが、国鳥なのに食べちゃっていいの?
なんとなく、複雑な気分にさせられる。
あと、国鳥がキジだと、鶴や朱鷺の立場はどうなるんだよ!
そのへんは、ツルやトキの気持ちを聞いてみないことには、なんとも言えないが、、、、、な~んてね。
今回は、後輩の酒井経由のトキの画像・動画のおかげで、ひとつ記事を作成することができた。
酒井に感謝しなければ。
さて、常連の皆さん、閑静な住宅地にある酒井の実家を訪ねてみませんか。
野生のキジが楽しげに闊歩する広大な庭で、のんびりとひと時を過ごすのもまた楽し!