ここ数日間、なんかちょっとしたスランプというか、PCのキーボードを前にしても言葉が浮かばないというか、指が自分勝手に動いてくれない。
実は、その原因は自分でもほぼ特定できている。
しかし、なぜそのことで気持ちがこんなにモヤモヤするのか、思考が纏まらないのか、また、やや落ち込み気味なのかが理解できない。
最大の起因は漫画家、芦原妃名子さんの死去である。
別に、愛読者でも熱狂的なファンでもなかった。
ほんの数日前までは、名前すら知らなかった女性作家。
これまで、赤の他人が自殺しようが、あまり心を動かされたことはなかった。
もちろん、知り合いが自死すれば、大きな衝撃を受けるに違いないが、幸いにも友人・知人で自裁したものは一人もいない。
それが、今回の芦原さんの訃報を聞き、それに関する様々な報道やコメントを目にすればするほど、何とも説明することのできない気持ちに襲われて、頭が混乱している。
本人、出版社、テレビ局、そして脚本家の間でどのような動きや交渉があったのか、まったくの第三者だから皆目見当がつかない。
日本テレビの『セクシー田中さん』も一度も視聴していない。
ただ、漫画の『セクシー田中さん』は一昨日、単行本を数巻購入して読んでみた。
非常に魅力的な絵とストーリー。
芦原さんの創り出したキャラクターはそれぞれ自分というものをしっかりと持ち、存在感を放つ。
また、一人一人の内面も丁寧に描かれており、細部(TOIECの得点、シャドーイング、ヒラリー・クリントンの敗北宣言など)の描写もいい。
作者、芦原妃名子さんの繊細さや誠実さがこの作品から伝わってくる。
ネット上には多種多様な意見・感想が見てとれる。
その一部に目を通してはみるが、自分個人の視点は定まらない。
当たり前だ、ほんの数日前まで彼女の存在すら知らなかったのだから。
なぜ、これほどまでに心がざわめき、思考回路がうまく作用しないのか、論理的な説明がつかない。
心理学のエキスパート西川からご意見を拝聴したいぐらいだ。
さて、自分なりに分析めいたことを挙げると、最近、頭の中にこれ以外の二つのことが居座っているために、もともとひ弱な思考力が悲鳴を上げているのかもしれない。
一つは、先日記事にした九段理江さんの小説『東京都同情塔』だ。
この作品には、多くのテーマというか論点が入っているため、もう一度丁寧に読み返して、いろんな角度から分析したいなどと感じていること。
もう一つは、例の「桐島聡」を名乗る人物だ。
現在、警察が身元確認中のようだが、もし本人ならば、左翼過激派のメンバーだったということになる。
左翼・リベラルに関しては、記事の中で取り上げたことはあるが、その「過激派」はまだ当ブログ中に登場していない。
もし、アナーキズム系の左翼過激派について言及するなら、どんな切り口が必要か、どんな視点から記事をまとめるかなどと漠然と頭の片隅に置いていた状況だった。
そこへ芦原さんのニュースが入ってきて、一気に脳内を駆け巡ったことで、我が貧相な脳みそが機能不全に陥ったのではなかろうか。
まあ、本当のところは自分でもわからない。
とにかく、現在、なにゆえか考えがまとまらない。
しかし、こういうこともある。
この事実を記録する意味でも、今回、わけのわからない記事として残すことにした。