蛭子(ひるこ)とは、一体、どんな神なのか?
素人には、よくわからない。
まず、蛭子誕生の経緯を振り返ってみる。
イザナキノミコトとイザナミノミコトが「国生み」に着手する場面をざっくばらんな感じでみていくと、
*巨大な柱の周りを、イザナキは左から廻り、イザナミは右回りで進んでいき、二柱が出会ったところで、イザナミの方から「ああ、素敵、愛しいかた」と言い、次にイザナキが「なんと美しい、可愛い乙女よ」と応えた。
その直後に、イザナキが「女の方から、声を掛けたのはよくなかったかも」と言いはしたものの、寝所で二柱が交わり、生まれたのが蛭子。
こうして誕生した蛭子は葦船に入れて流されてしまった。
古事記には、蛭子を放流した理由として「今、吾が生める子不良(さがな)し」とある。
この「不良」がどんな意味で使われているのか?
昔から、研究者によって解釈が分かれる。
手足が異形であったのではないか、、、胞状奇胎ではないか、、、など。
明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏は、蛭子を「未熟児」と見なした上で、その原因も合わせて以下のように説明している。
⇒「日本においては「言霊」というように言葉には霊力が宿ると考えられてきた。女神から声を掛けて交わったところ、未熟児が生まれたという『古事記』の逸話は、結婚は男が申し込み、女の承諾を受けて成立すると観念されてきたことと関係があると思われる」
さて、今東光大僧正は、「ひるこ」を「蛭子」と表記したのは、ただの当て字だと指摘する。
博覧強記の今大僧正は、『先代旧事本記』の内容を紹介し、「ひるこ=日霊子」という説を支持。
そして、「日霊子」は「日霊女 ひるめ」と対応するものだと解説する。
いきなり登場した「日霊女」とは、大僧正によると、「大日霊女貴尊 おおひるめむちのみこと」であり、天照大御神の別名だとのこと。
見ての通り、「日霊子」の「子」と「日霊女 ひるめ」の「女」対応から、男女の性別を示すことは明白だと指摘。
したがって、『古事記』でいう「蛭子」とは、実は「日霊子」すなわち、「大日霊子貴尊(おおひるこむちのみこと)」であり、天照大御神の兄だと解釈している。
さらには、「蛭子を葦船に入れて流した」の箇所は、大僧正の言葉を引用すると
⇒「だから長子の蛭子を目無籠に入れて流したというのは、古代日本人がこの国に押し入った象徴さ。流したんじゃありません。長子が進出したというのを暗示的に書けばああなるより仕様がない」と説明する。
このあたりに興味のある方は、今東光『毒舌日本史』を一読されたし。
浅学菲才のブログ主には、手も足も出ない領域。
話は変わって、イザナキとイザナミの「神生み」で、生まれる際に母のイザナミに火傷を負わせた火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)に関して少々。
火の神を出産したイザナミは、その火傷が原因で命を落としてしまう。
愛妻を喪ったイザナキは悲嘆にくれ、男泣きに泣いたのだが、その涙からナキサワメノ神が生まれた。
可愛い妻を死に追いやった火の神(ヒノカグツチノ神)に対して怒りが収まらず、イザナキはその実子の首を十拳剣(とつかつるぎ)で刎ねた。
すると、ヒノカグツチノ神の体から血しぶきが上がり、剣先や柄に付着したり、周囲の石に飛び散ったことから八柱の神々が生まれた。
また、ヒノカグツチノ神の遺体からも八柱の神々(山の神々だという)が出現した。
死んだ神の血液や遺体にも、神を生み出す力があるということらしい。
この火の神に関する逸話を、竹田恒泰氏は以下のように分析する。
⇒「迦具土の誕生から死への経過から、先人の「火」に対する価値観を知ることができる。火は破壊の力を持ち人の命を奪うことがあるが、制御することで物を生み出す力を持つことを表していると考えられる」
話は前後するが、イザナミは火傷を負い、瀕死の状態にありながらも、嘔吐物や排泄物から数柱の神々を生み出している。
日本の神々は、なんとも摩訶不思議な強力な力を秘めているのだ。
まあ、神話だから、、、
それでは、イザナキとイザナミのその後の話。
イザナミの死後、亡き妻の面影が忘れられないイザナキは、黄泉の国(=死の世界)へと向かう。
イザナミから準備が整うまで自分の姿を見ないで欲しいと言われたのに、つい、イザナキは待ちきれずに覗いてしまう。
すると、そこで、目にしたものは、、、、体中に蛆虫(うじむし)がたかり、そのうごめく音がごろごろと鳴るありさま。
イザナミの頭部には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷、、、、腐乱したイザナミの体には合わせて八つの雷神がわき出していた。
例の、「決して見ないでください」と釘を刺されたのを無視して、思わず盗み見して「ギャ~!」のパターン。
昔話「あるある」の元祖が、『古事記』のこの逸話かもしれない、って知らんけど。
ということで、今回はここまで。
また、近々、『古事記』の魅力を紹介する予定。