『古事記』には結構「下ネタ」が多い! 日本神話の神々は人間臭いんだよな!

なんだかんだ言って、『古事記』は面白い。
今回は、「性書」としての古事記の魅力をお楽しみあれ。

◎イザナキ神とイザナミ神による国生み・神生み

有名な二柱の神は、オノゴロ島で交わり、国生みを行う。
イザナキ・イザナミの二神がまぐわう前に交わしたやりとりは

イザナミ:わたしの体はなり整ってはおりますけれども、足りない所が、ひと所だけございます。

イザナキ:わたしの体は、余っている所が、ひと所ある。だから、このわたしの余った所を、そなたの足りない所に刺しふさいだら、国土(くに)が出来ると思うが、いかがなものであろう。

イザナミ:それがよろしゅうございましょう。

以上の流れに、余計な説明は不要だろう。
日本神話の神々は、人間臭いというか、性に対して大らかだ。

◎スサノオ大暴れで、もう大変!

スサノオノミコトは、一言で言えば、乱暴者。
まあ、その剛力さゆえに八岐大蛇も退治できるわけだが、、、

天照大御神の田の畔を壊す、田にひく水路の溝を埋める、天照大御神の大嘗祭の御殿に糞をまき散らす等々、とにかく、やりたい放題。

ある時、天照大御神が織殿で織女に神衣をおらせていた。
すると、スサノオがその家の棟に穴をあけて、斑毛(まだらげ)の馬を逆剥ぎにして、中に投げ落とした。
それを見た機織り女は、「ギャ~!」と驚いた拍子に梭(ひ)で陰部を突いてしまい、息絶えてしまった。

*梭とは、機織用具のひとつ。

それにしても、スサノオさんは田んぼを荒らしたり、ウンチをまき散らすわ、馬の生皮を剥ぐわで、まさに傍若無人。
この荒々しさに、天照大御神もわが弟ながら、怖くなって天の岩屋の中に引きこもってしまう。

◎天照大御神を岩屋から出すために、アメノウズメが裸踊り!

スサノオの乱暴狼藉に困り果てた天照大御神。
太陽神であるアマテラスが岩屋に閉じこもってしまったため、高天原をはじめ全世界が暗黒の闇に包まれた。

神々は、様々な策をこらすが、何といってもアメノウズメノミコトの踊りが絶大な効果を発揮する。
なんと、胸はもちろん、陰部まで晒して、神がかり状態で桶を踏み鳴らしたアメノウズメ。
これを見て、八百万の神々がどっと笑い転げるありさま。

不審に思ったアマテラスが少しだけ岩戸を開けて、外の様子を窺うところを、怪力のタヂカラヲノミコトが大御神を外に連れ戻したという次第。

俗な表現を使えば、アメノウズメさんは日本で初のヌードダンサーということになるだろう。
本当に、『古事記』は娯楽性が強い。

◎トイレ使用中の女性に求愛する神って、おい!

大物主神(オオモノヌシノカミ)という神にまつわる逸話。
この神が、勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という美しい乙女に一目ぼれ。
じゃあ、普通に口説けばいいものを、、、

この大物主は、セヤダタラヒメがトイレに入っている時に、自分の姿を赤塗の矢に変えて、この娘の陰部(ほと)を突いたとさ。
本当にもう、何てことをするんですか!

当然、セヤダタラヒメはビックリ仰天。
それでも、その矢を持って出てきてから、床の傍らに置くと、あら、まあ、不思議。
その赤矢は、たちまち見目麗しい若者(=大物主)に変身。

二人が結ばれて、生まれた子がホトタタライススギヒメノミコト。
別名は、ヒメタタライスケヨリヒメ。
最初の名前に「ほと=陰部」が付いているので、後に別名に改めたとのこと。

改名したとはいえ、最初に「ほと」を名前に使うとは、、、、
つくづく、『古事記』の世界は下ネタに寛容である。

さて、このヒメタタライスケヨリヒメは神武天皇(初代天皇)に見染められて結ばれることに。
このお二方の子孫が現在の皇室に繋がることになる。
従って、歴代天皇は代々、大物主神の霊力を受けることになったという。

さて、本記事では『古事記』の世界が下ネタを厭わない、俗っぽさを包含していることを紹介した。
個人的には、『古事記』がスサノオさんの暴れっぷりを隠さずに記述する姿勢に好感を持っている。
完全無欠の神よりも、長所も短所もむき出しにする日本の八百万の神々の方が、魅力的だと思うのはブログ主だけであろうか。

その一方で、唯一神の神、例えばユダヤ教のヤハウェの怖さといったら、、、、、
まあ、今回のテーマとはズレてしまうので、ここでは触れないでおこう。

とにかく、何度も繰り返すが、『古事記』の世界は興味深い。
また、機会をみて、様々な面から常連さんたちと楽しみたいと思っている。