小瀬甫庵『太閤記』は学者・研究者の間では、評判がよろしくないそうだ。
史実誤認がある、とか甫庵の儒教理念に基づく記述(甫庵の意見・批評)が鼻持ちならない、などと言われているらしい。
誤認は別として、素人のブログ主は、甫庵の意見・批評があるからこそ、この書は面白いと感じる。
みうらじゅん風に言えば、「そこがいいんじゃない!」である。
秀吉と同時代を生きた人間の生の声が聞ける、この一点だけでも本書は一読の価値あり!
甫庵の私見の中でも、仏教や僧に対する批判が興味深い。
いや、批判と言うより、罵倒である。
批判や罵倒の中にこそ、本音が出る。
では、甫庵の本音を見ていこう。
*そもそも、厩戸皇子(聖徳太子)が悪い!(今、学校では「厩戸皇子」と教えるって本当?)
「ああ、聖徳太子が仏教を用いられたのは、なんと浅はかなことだったろうか。これらはすべて、一頭の犬がむだぼえすると、それにつられて千万の犬が本気でほえたてるのと同じ迷信にすぎない」
聖徳太子の仏教政策を「浅はか」とは!
それは、当時の(今もか)仏教徒は憤慨するはず。
原典では、「あさましかりし」という表現。
また、そのたとえに「犬」を使うとは!
これは、「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」とかいう表現でしょう。
(下に、『太閤記』の原典あり、参照のほど)
昔の儒学者は漢文なんか、お手の物ですから。(出典は『潜夫論』らしい)
「迷信」は原典では、「浅智」、これは「浅知恵」のことでしょうね。
一応、参考までに、下に原典の該当箇所を示します。
「吁あさましかりし聖徳太子之用ゐなり。此属は皆、一犬吠虚万犬伝実と、一味之浅智なるべし」
*坊主なんてこじきみたいなもんだ!(「こじき」は原典では「乞食」)
「世間一般の僧をみると、見るからに尊げな姿を装い、殊勝げなふりをして、(中略)だが、こうした人々のほとんどは、心の中はねじけ、金銀への欲望が強く、布施を手に入れる術は、くもが獲物を取るように上手なものだ。すべてこじき同然の者たちである」
批判どころか罵倒です。
今でも、「坊主丸儲け」という表現がありますが。
ひとつ気になるのは、訳者は「こじき同然の者」としてますが、原典では「乞食之徒也」であり、「同然」ではなく「乞食」と断定!
訳者の吉田豊氏の配慮でしょうか?
当時の儒学者と僧はそれほど対立していたのか、素人にはわかりません。
甫庵が特別、仏教に敵愾心をもやしていたのか、その辺りの事情は不勉強です。
*比叡山なんか焼き討ちされて当然! さすが信長公!
「信長公は、このこと(=聖徳太子のせいで王法が衰え、世が乱れたこと)を深く考えられ、長年にわたって仏法の権威をかさにきて悪逆の振る舞いの多かった比叡山延暦寺を焼き払われたが、それ以来、皇室の権威は回復し、公家の人々の状態ももとのようになった。これをみるならば、延暦寺が皇室守護の寺であったというのは全くのうそである」
ここまで罵倒されては、天台宗は腹に据えかねたことでしょう。
何らかのアクションを起こしたのかどうかは不明ですが、焼き討ち(1571年)後は勢力が衰えているし、反撃する気概のある僧がいたかどうか。
ただ、信長は突然、比叡山を焼き討ちしたわけではありません。
事前に、延暦寺と交渉しております。
簡単に言うと、以下の条件を提示しております。
・こちらに協力しないか
・協力できないのなら、中立を守れ
・二つとものめないのならば、攻め滅ぼす
信長に協力しなくても中立を守れば、焼き討ちはなかったであろうと今東光大僧正は語ります。
信長は誤解されやすいタイプなのかもしれません。
あの他人がつくった「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」のせいでしょうか。
以上、まだまだ、甫庵の仏教や僧に対する罵倒の文言は『太閤記』の中にありますが、キリがないので止めます。
専門家からは資料性が低いとされる『太閤記』ですが、著者の意見・批評の中に、あの時代の空気感のようなものが存在すると思うのはブログ主だけでしょうか。
歴史素人の目には魅力的な書であることは確かです。